金嬉老裁判証言集〜山本リエさん(後編)

山根弁護人 いやな気持というのは、どういうことだというように山本さん聞きましたか。つかまったのがたまらないということをいやな気持という表現でしているということでしょうか。

証人 あとで聞くと伊藤さんは、朝鮮人というものは差別されているし、自分たちの子供のころも差別されている子供たちを見ていたし、小学校時代も見ていたし、金嬉老が言っていたこと、確かにそういう差別が現代の社会にもあると。あれはまともなことをいっているんだから、ともかく警察にあやまらせたら、自分で自決するといっていたのにもかかわらず、ああいう形で警察につかまったということは、自分自身、人質といわれた自分らも、私のこれは解釈になるんですけれども、警察は本当に金嬉老が人質にしていたとあの時いっていたが、警察が金嬉老を逮捕するために“人質”をたてに使ってあそこで、88時間という時間をかせいで人質にしていたのではないかということを、私は非常に強く感じて矛盾をもったんです。

山根弁護人 警察が旅館に泊まっていた人たちを人質に仕立てあげることによって、金嬉老の逮捕をねらうというようにも思われるということですか。

証人 ええ、私はそうとれたんです。

山根弁護人 それぞれの人に会って、そのような印象ももったということですか。

証人 ええ。

山根弁護人 そのように全部で七人の方を長野県から、岐阜県、愛知県、あっちこっちたずね歩かれたということをなさって、ふじみ屋旅館の宿泊者に会われたわけですけれども、そういうことを通じて、最初そういうところをたずねて、いろいろのことを究明しようと思ったときと、会われたあと発見なり、いろんなことがあったと思うんですが、それはどういうことになるんでしょうか。というのは山本さんがこういった人たちをたずね歩かれるのには、人質ではなかったのではないかもしれないという気持があったわけですか。

証人 はじめはわからないですね。一人ひとりをたずねていく間に発見していくわけですね。はじめはマスコミ、新聞のあれが非常に印象に残っておりますし、『週刊朝日』とか、一番週刊誌でも良心的に書いているといわれる『週刊朝日』あたりなんかを読んでもおかしいので、私なりの真実というものが、一言ではちょっとここではいえないような気がしますけれども、たとえば金嬉老が、いわゆるあそこで、ふじみ屋旅館で訴えた問題というのは、彼自身が底辺から生きてきたし、日本人の人質といわれた肉体労働者、あの宿泊者たち、その人たちが非常に私自身も体験してきた、底辺からあがってきたそういう人たちでもあったし、そういう人たちが在日朝鮮人のひとりである金嬉老と、あそこで対応したとき、火花をちらしたということがあったのかどうか。

山根弁護人 火花をちらしたというのはどういうことですか。

証人 これはやはり加害者の立場にある日本の民衆というものが、やっぱし在日朝鮮人の被害者である金嬉老と、そこで連帯していくというか、その萌芽みたいなものが、あそこで生まれるものが何かあったのかどうか。

山根弁護人 人間的な触れあいみたいなものが。

証人 ええ。

山根弁護人 そういうものが生まれていたと。

証人 ええ、そういうようなものを感じましたし。

山根弁護人 そういう全部で七人の方にお会いになって、そういうものがふじみ屋旅館にあったんじゃないかという印象を受けられたわけですか。

証人 ええ、あそこでのいわゆる“人質”の人たちというのは、ある意味では私たち日本人の分身ではないかというそういうようなことも考えたり、朝鮮人と日本人ということの関係で、本当にこれから一つの連帯の糸口みたいなものが見つかるんだったら、最底辺の人たち、そこからその萌芽がでてくるんじゃないかということが、真実ということにつらなるかもしれないんですけれども。

山根弁護人 もし、金嬉老が旅館の人たちを脅迫なんかしていなかったら、なぜいたのかと、非常に不可解だという受取り方を一般にはするんじゃないかと思われるわけですね。

証人 (うなずく)

山根弁護人 しかし、山本さんがそれぞれの方に会われて、いろいろお話うかがってみますと、伊藤Tさんはつかまっていやな気持がしたというし、いやな気持というのは何か、どういう言葉でいったらいいか、つかまってしまったことが非常にたまらないという気持をいやな気持というように表現しているようにとれるわけですが。

証人 そうです。

山根弁護人 なぜそういうことになるのかということを、山本さんは、自分の生きてきた境遇といいますか、体験といいますか、それで結局理解できたんでしょうか。そういうことはまったく可能なんだという発見にいたったのかどうか。

証人 やはり日本の民衆というのは、常に最底辺で一つの日本の支配権力というか、そういう支配階級に圧迫され続けて生きてきたし、やはり警察というものに対しても、ある意味では昔から敬遠していますし、それでも民衆は警察といえば、信頼したいと思うし、結果的には、あそこで自分らをも裏切られたというか、裏切ったというか、そういう警察の態度というか、国家権力の警察の態度というか、そういうようなわなをまざまざと見せつけられたというか、そういうふうにもとれます。

山根弁護人 人質といわれていた旅館の宿泊者が、警察やマスコミによって、自分も裏切られたと感じた怒りみたいなものをもっているんじゃないかと思われるということですか。そうお感じになったということですか。

証人 ええ。

山根弁護人 それはなんだとお考えになりますか。おどかされたとか、なんかしたじゃなくて、そこにとどまり続けたのはどういうところからでしょうか。

証人 それはやはり金嬉老の、あのときの民族差別の訴え、警察でのあのような謝罪要求というような形は、実際に彼らもわかるし、わかるというのは、ある一つの自分たちの日常的体験の中から、見たり聞いたりいろんな形で、見えない空間の中での圧迫みたいなもの、そういうようないろんなところから考えていって、ある意味では彼らは見えないバリケードになっていたのではないかと思います。だからあのとき金嬉老がテレビという、日本のすみずみまで設置されているあのテレビで民族差別を訴えたとき、在日朝鮮人60万人の一人として訴えたこと、そういうことの問題、英雄的というか、英雄視した記事も見たんですけれども、それを本当に彼らが金嬉老の光の部分を照す影の部分をを支えた、というような形である一体化した共感を覚え、あそこでの闘いの姿勢の糸口みたいなものがあったんじゃないかと思います。

山根弁護人 そういう国民意識というものは、山本さんの自分が生きてきた境遇なりなんかを通じて、そういうものをとおして、なんか確信もってそういう認識に到達したということなんでしょうか。

証人 そういうことですね。

山根弁護人 特に何か言い残されたことがありますか。

証人 伊藤さんのいわれた中で、朝鮮人のことなんですけれども、金嬉老のいっていたことに対して、やはり朝鮮人の差別というものを非常に小さいときから、自分たちの名古屋の町で差別されている友達を見ているし、本当に彼のいうことはまともなことをいっている。確かに差別は現在もあるし、今もずっと続いているし、小さいときからあんなにいじめぬかれれば、そういうことになるのはあたりまえだといってました。そこで、私、一つ差別のことでいわせてもらいますと、私が金嬉老と同世代くらいに育って考えるのは、やはり私が遠州地方の農村に働いていた、そのころ朝鮮人が町から下肥の車を引いて、麦畑なんかにかけているんですね。そういうときに私自身も12歳ころに他人の家で下肥をかつがされていたわけですけれども、朝鮮人に対して、おとなと同じように蔑視のまなざしで見ていたということ、そういうことは確かですし、そういう自分自身というものが、なぜそうなったかということ、そのずっとあとになってからわかるわけですけれども、日本の教育とか、明治以来百年の資本主義の世の中で、文教政策みたいなものが非常にわざわいしたんじゃないかということを考えます。私は最近、朝鮮人の資料関係の本をカバーなしで小さな食堂だとかそば屋さんあたりで、机において、注文を頼むときなど、地方から出身したと思われるいわゆる庶民の店員さんとか、ボーイさんが、その朝鮮の本のタイトルを見ただけで、私の顔とタイトルとをにらみ合わせて、いやな、変な目で、やっぱり蔑視のまなざしを向けるんですね。だから本当に日本人というのは、現在も、しかも10代の人たちでも朝鮮の本を読んでいてさえも、この人は朝鮮人か、なんだというような蔑視の目があるし、これはおそろしいことだと思っています。
このまなざしというものは、本当に私たちどういうふうにして闘っていったらいいかと思いますし、それから私自身の内部にも、どのように自分が差別されたり、虐待されて、いろんな目に会ってきたといっても、やはり日本人の少女であったし、日本人だし、そこでやっぱり完全に彼らを差別する加害者だったということで自らを裁き続けなければならないんじゃないかというふうに考えます。

山根弁護人 生活環境といいますか、境遇としては在日朝鮮人といいますか、あるいは金嬉老と対比しても、ある面では金嬉老以上の場合もあり得たかもしれないけれども、しかし、それでも在日朝鮮人に対して、差別というものは、さらに深いものだということを今おっしゃったわけでしょうか。

証人 (うなずく)



このダム工事作業員たちは裁判でも検察側証人として証言を行ったようだけど、金嬉老公判対策委員会が発行した証言集に収められているのは弁護側証人の証言だけなので証言内容の全貌は判らない。ただ証言の一部は「金嬉老弁護団最終弁論」の中に引用されていて、それらの引用を読む限りではこの山本リエさんの証言と矛盾するようなものは無いので、山本リエさんの証言は信用して良いと思う。